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アンケート方式だと本人の自己申告なので、正確に家計簿を書いている人でない限り、申告所得に誤差がある。
税務統計に依存すれば、どの国でも大なり小なり脱税や節税があるので、所得に過少申告がある。
所得の統計には誤差がつきまとうということである。 の視点をとりいれるためにも、研究の現状を紹介しておきたい。
第三に、所得を比較する時に、単身(あるいは一人当たり)を基準にするのか、それとも家計を基準にするのかという問題が大きい。 家計を基準にした場合、夫と妻が働いている場合と、夫しか働いていない場合では、家計所得が相当異なる。
成人した子供が親と同居していて、その子供が働いている場合はもっと複雑である。 家計の稼得者全員の合計所得なのか、それとも稼得者の人数で割るべきなのかの選択である。
第四に、家計内に子供や働いていない人が同居している場合、その人達をどう評価したらよいかの問題がある。 子供は親の所得に依存して生きているわけで、消費という観点からすると、子供の数が多い家計とそうでない家計では所得の持つ意味あい、あるいは余裕度や厚生水準は相当異なる。
子供も年齢が二○歳の子供と一歳の子供では消費額が異なるので、年齢によってウェイトづけする必要があるかどうかということも、問題を複雑にするのである。 第五に、家計内で働いている人は所得を得るために労働しているが、労働には苦痛が伴う。
所得は高くともその苦痛が大きければ、それを割り引く必要があるのではないか、という心情的にも素朴な疑問も残る。 主観的な苦痛をどう数量として評価するか技術的な問題もあるので、これは相当困難な課題である。
第六に、所得分配の不平等を表す指標としてどの指標が望ましいかという論争がある。 あるいはどの所得や標本にどの指標がふさわしいかの選択もある。
述べたような所得の計測上と概念上の難点を克服するためにと、所得分配の比較可能性を高めるために、経済学者は次のような概念を生み出している。 それは等価所得に基づく計測である。
この概念は、家計当たりの稼得者の数を共通にするため、家計所得をまず稼得者の数によって調整し(多くの場合稼得者の数で割る)、さらに家計の規模と必要度を調整するために、家計を構成人員の人数と年齢によってウェイトづけする。 いわば、家計構成員一人当たりの所得ないし厚生水準に変換したもので、等価所得と呼ぶものである。
等価所得の概念は、所得の比較を共通の基盤、ないし尺度で行うために考えられたものである。 次のような二種類の家計を考えれば、わかりやすいのではないか。
家計Aは夫と妻が働き、二人の年収合計は二○○○万円で、子供は五人である。 家計Bは夫のみ働き、年収は一○○○万円で、子供は一人とする。
単純に家計所得二○○○万円と一○○○万円だけで所得を比較できないことはわかってもらえ一九八○年代に入ってから、等価所得に基づいて所得分配の国際比較が始められるようになった。 しかし実際にはデータ収集の困難性から、稼得者の人数や家計構成員の年齢までも考慮した比較例はさほどない。
しかし、最低限家計の構成人員数を考慮した分析例は多い。 最近のもう一つの特色は、データ量の豊富さである。
コンピューター技術が進んだことに加え、各家計それぞれの個票がデータとして利用可能になった。 すなわちそれぞれの家計の所得、人数、年齢、職業等、諸々の情報が同時に使用可能になったので、幅の広いしかも質の高い分析が可能になったのである。
「ルクセンバブルグ所得分析プロジェクト」と称する、国際比較研究チームによる成果である。 各国の個票データを用い、しかも比較可能性を高めるために、既に述べたいくつかの困難さを克服しようと、共通の方法で計測されたものである。
この表の解釈は後に述べるとして、ここに日本が入っていないことに注目してほしい。 日本政府はこのプロジェクトに何度も誘いを受けたが、データ提出を拒否したので、その結果日本は比較国から外れているのである。
学問の発展のみならず、政策上も有益と考えられるプロジェクトに日本も参加してほしいものである。 一九七六年にOECD(経済開発協力機構・本部)が先進資本主義国の所得分配の現状を公表した。
二○年以上前の報告なので、「ルクセンバブルグ・プロジェクト」ほど精級ではないが、当時は相当の関心を呼んだ。 その理由の一つは、フランスが先進諸国の中で所得分配が最も不平等と結論づけられたので、時のフランス政府がJ大統領まで先頭に立って、OECDに厳重に抗議し、かつフランスは自身による修正推定結果を提出したからである。
ちなみに、わが国はオーストラリア、ノルウェー、スウェーデンと同じく最も平等性の高いグループに属すると報告されている。 日本政府もそれを宣伝に使う時もあった。
実はこの研究では、日本の推計にも統計上誤差があったので、日本の結果についても割り引く必要がある。 例えば、日本の統計には農家が含まれていないとか、単身者が除かれているといった難点があった。
これらは所得分配をみかけの上で平等にする可能性が高い。 ここでOECDの研究の詳細を議論する余裕はないが、私が主張したい点は、所得分配の現状を知るということは、社会・経済の実際面から相当の関心と反響を呼ぶという点である。
フランスの例をまたず、所得分配の現状があまりに不平等とされると、国によっては政情不安になる場合もある。 発展途上国では、ごく一部の富裕層と大多数の貧困者の存在によって象徴されるように、所得分配が極端に不平等な場合がある。
この事実が国民に知れ渡れば、革命すら引き起こされうる。 南米、アフリカ、アジアの例をみれば明らかである。
ただし、アメリカだけは例外である。 この国は何度も述べるように先進資本主義国の中で最も所得分配の不平等度が高い国である。
国民性として競争を尊ぶし、自己責任に帰する精神もある。 有能な人・頑張る人はそれなりの高い報酬を得てもよいという合意があるので、さほどの抵抗感はない。
わが国に関していえば、一九六○年から七○年代にかけて、OECDの報告にもあるように所得分配の平等性の高いことが流布され、「平等神話」の起源となりそれが今日まで続いてきた。 しかし、それがもう現時点では非現実となったことは既に強調した。
一九八○年代から今日までわが国の社会・経済状況は大きく変化し、そのことが分配の不平等化の一因になっているのである。 それは人口の年齢構成、居住状況、産業構造、労使関係、人々の意識、税・社会保障制度、等々いろいろな変化を含んでいる。
最後に最も比較可能性の高い「ルクセンバブルグ・プロジェクト」によって、先進諸国を不平等度からみて分類してみよう。 まず第一のグループとして平等性の高い国は、北欧諸国(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー)と中欧の小国(ベルギーとルクセンバブルグ)である。
次に第二のグループとしては、中欧の大国(ドイツとオランダ)である。 最後の不平等性の高い第三のグループの国は南欧(フランス、イタリア)と島国(イギリス、アイルランド)、そしてアメリカとスイスである。
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所得の統計には誤差がつきまとうということである。 の視点をとりいれるためにも、研究の現状を紹介しておきたい。
第三に、所得を比較する時に、単身(あるいは一人当たり)を基準にするのか、それとも家計を基準にするのかという問題が大きい。 家計を基準にした場合、夫と妻が働いている場合と、夫しか働いていない場合では、家計所得が相当異なる。
成人した子供が親と同居していて、その子供が働いている場合はもっと複雑である。 家計の稼得者全員の合計所得なのか、それとも稼得者の人数で割るべきなのかの選択である。
第四に、家計内に子供や働いていない人が同居している場合、その人達をどう評価したらよいかの問題がある。 子供は親の所得に依存して生きているわけで、消費という観点からすると、子供の数が多い家計とそうでない家計では所得の持つ意味あい、あるいは余裕度や厚生水準は相当異なる。
子供も年齢が二○歳の子供と一歳の子供では消費額が異なるので、年齢によってウェイトづけする必要があるかどうかということも、問題を複雑にするのである。 第五に、家計内で働いている人は所得を得るために労働しているが、労働には苦痛が伴う。
所得は高くともその苦痛が大きければ、それを割り引く必要があるのではないか、という心情的にも素朴な疑問も残る。 主観的な苦痛をどう数量として評価するか技術的な問題もあるので、これは相当困難な課題である。
第六に、所得分配の不平等を表す指標としてどの指標が望ましいかという論争がある。 あるいはどの所得や標本にどの指標がふさわしいかの選択もある。
述べたような所得の計測上と概念上の難点を克服するためにと、所得分配の比較可能性を高めるために、経済学者は次のような概念を生み出している。 それは等価所得に基づく計測である。
この概念は、家計当たりの稼得者の数を共通にするため、家計所得をまず稼得者の数によって調整し(多くの場合稼得者の数で割る)、さらに家計の規模と必要度を調整するために、家計を構成人員の人数と年齢によってウェイトづけする。 いわば、家計構成員一人当たりの所得ないし厚生水準に変換したもので、等価所得と呼ぶものである。
等価所得の概念は、所得の比較を共通の基盤、ないし尺度で行うために考えられたものである。 次のような二種類の家計を考えれば、わかりやすいのではないか。
家計Aは夫と妻が働き、二人の年収合計は二○○○万円で、子供は五人である。 家計Bは夫のみ働き、年収は一○○○万円で、子供は一人とする。
単純に家計所得二○○○万円と一○○○万円だけで所得を比較できないことはわかってもらえ一九八○年代に入ってから、等価所得に基づいて所得分配の国際比較が始められるようになった。 しかし実際にはデータ収集の困難性から、稼得者の人数や家計構成員の年齢までも考慮した比較例はさほどない。
しかし、最低限家計の構成人員数を考慮した分析例は多い。 最近のもう一つの特色は、データ量の豊富さである。
コンピューター技術が進んだことに加え、各家計それぞれの個票がデータとして利用可能になった。 すなわちそれぞれの家計の所得、人数、年齢、職業等、諸々の情報が同時に使用可能になったので、幅の広いしかも質の高い分析が可能になったのである。
「ルクセンバブルグ所得分析プロジェクト」と称する、国際比較研究チームによる成果である。 各国の個票データを用い、しかも比較可能性を高めるために、既に述べたいくつかの困難さを克服しようと、共通の方法で計測されたものである。
この表の解釈は後に述べるとして、ここに日本が入っていないことに注目してほしい。 日本政府はこのプロジェクトに何度も誘いを受けたが、データ提出を拒否したので、その結果日本は比較国から外れているのである。
学問の発展のみならず、政策上も有益と考えられるプロジェクトに日本も参加してほしいものである。 一九七六年にOECD(経済開発協力機構・本部)が先進資本主義国の所得分配の現状を公表した。
二○年以上前の報告なので、「ルクセンバブルグ・プロジェクト」ほど精級ではないが、当時は相当の関心を呼んだ。 その理由の一つは、フランスが先進諸国の中で所得分配が最も不平等と結論づけられたので、時のフランス政府がJ大統領まで先頭に立って、OECDに厳重に抗議し、かつフランスは自身による修正推定結果を提出したからである。
ちなみに、わが国はオーストラリア、ノルウェー、スウェーデンと同じく最も平等性の高いグループに属すると報告されている。 日本政府もそれを宣伝に使う時もあった。
実はこの研究では、日本の推計にも統計上誤差があったので、日本の結果についても割り引く必要がある。 例えば、日本の統計には農家が含まれていないとか、単身者が除かれているといった難点があった。
これらは所得分配をみかけの上で平等にする可能性が高い。 ここでOECDの研究の詳細を議論する余裕はないが、私が主張したい点は、所得分配の現状を知るということは、社会・経済の実際面から相当の関心と反響を呼ぶという点である。
フランスの例をまたず、所得分配の現状があまりに不平等とされると、国によっては政情不安になる場合もある。 発展途上国では、ごく一部の富裕層と大多数の貧困者の存在によって象徴されるように、所得分配が極端に不平等な場合がある。
この事実が国民に知れ渡れば、革命すら引き起こされうる。 南米、アフリカ、アジアの例をみれば明らかである。
ただし、アメリカだけは例外である。 この国は何度も述べるように先進資本主義国の中で最も所得分配の不平等度が高い国である。
国民性として競争を尊ぶし、自己責任に帰する精神もある。 有能な人・頑張る人はそれなりの高い報酬を得てもよいという合意があるので、さほどの抵抗感はない。
わが国に関していえば、一九六○年から七○年代にかけて、OECDの報告にもあるように所得分配の平等性の高いことが流布され、「平等神話」の起源となりそれが今日まで続いてきた。 しかし、それがもう現時点では非現実となったことは既に強調した。
一九八○年代から今日までわが国の社会・経済状況は大きく変化し、そのことが分配の不平等化の一因になっているのである。 それは人口の年齢構成、居住状況、産業構造、労使関係、人々の意識、税・社会保障制度、等々いろいろな変化を含んでいる。
最後に最も比較可能性の高い「ルクセンバブルグ・プロジェクト」によって、先進諸国を不平等度からみて分類してみよう。 まず第一のグループとして平等性の高い国は、北欧諸国(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー)と中欧の小国(ベルギーとルクセンバブルグ)である。
次に第二のグループとしては、中欧の大国(ドイツとオランダ)である。 最後の不平等性の高い第三のグループの国は南欧(フランス、イタリア)と島国(イギリス、アイルランド)、そしてアメリカとスイスである。
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